忙しい子育て世代に必須の自転車。特に電動自転車は一度乗ったらもう手放せないかもしれません。
しもし自転車に乗らないからこそのメリットを考えたことはあるでしょうか?
ママチャリは便利だけれど
こんにちは。元スパルタ塾講ママです。
我が家は割と都心にあるので鉄道網が発達しています。
そのため車は特に必要なく、近所の小さい子がいるご家庭の多くは電動自転車(ママチャリ)を使っています。
私もずっと周囲の先輩ママたちに「電動自転車は絶対必要!」と勧められてきましたが、今も頑なにママチャリ無し生活を貫いています。理由は2つあります。
理由①子どもを自転車に乗せるのが怖い
自分の幼少期、祖父や父の自転車の後ろに乗せられて移動中、何度か派手に転んで怖い思いをしました。
特に祖父の運転で転んだのは交通量の多い大きな車道。
一歩間違えば車に轢かれてもおかしくない状況でした。
当時3歳くらいだったと思いますが、本当に怖く今でもトラウマ。
自分一人で自転車に乗るのは平気ですが、「子どもを乗せて走りたくない」とどうしても思ってしまいます。
理由②子どもの「好奇心の芽」を見逃したくない
いつも通るなんの変哲もない住宅街の道。
大人にとってはありふれた風景でも、看板、草花、車、家の塀、空の雲も子どもにとっては新鮮な発見にあふれています。
「あれって何だろう」
「もっと近くで見てみたい」
そんな興味や発見に誘われて、子どもはなかなかまっすぐ歩いてくれないんですよね。
でも好奇心というのはそんな発見に感動する経験の積み重ねで育つと思うので、こうした好奇心の芽をなるべく見逃したくない。
でも自転車で移動していると急には止まれませんから、子どもの「あれは何?」になかなか答えてあげられないないですよね。
子どもの好奇心を育てるためにも、多少不便であっても一緒に歩く時間を大切にしたいなと思っています。
(もちろん忙しい時もあってつい「早く!」と言ってしまいますが…。)
自転車無し生活の効能
上記の理由で始めた「自転車なし」生活ですが、これが効能かなと感じたのが、長男1歳半頃でした。
早くから文字に興味を示した長男
長男は歩き出しが遅かったので、練習のためになるべく毎日保育園まで徒歩で通っていました。
そんなのんびり屋の長男でしたが、まだはっきりと言葉が出る前の1歳半ころから文字に興味を持ち始めました。
きっかけは街中に停まっている車のナンバープレート。
ナンバープレートってちょうど子どもの目線の高さなんですよね。
プレートに書かれたひらがなを指さし私に向かって「ん?(あれは何?)」と毎日尋ねてくるので、「あれは『あ』だよ」と答えていました。
すると「あいうえお」がだいぶはっきり言えるようになった2歳前くらいには自然とひらがなを読めるようになっていました。
数字も同じようにナンバープレートから自然に習得し、カタカナもいつの間にか覚えていました。
漢字にも興味を持ち始めた
ひらがなやカタカナが読めるようになると、今度は「飛び出すな!危険!」のような街の看板の漢字にも興味を示し始めました。
「ひらがなは読めるけれどあの難しい字は何て書いてあるの?」と気になったようです。
他にもマンホールに書かれた「水道」や雨水桝の「雨水」、電柱の通学路マークから「文」などの漢字を読めるようになりました。
日記を書く
文字を読めるようになると次は「書きたい」と文字のようなものを大量に書きなぐるようになりました。街中で目にした文字を片っ端から書こうとしているよう。
でたらめに書いたものの中にも「木」「日」「水」など比較的易しい漢字は正しく書けていました。
それなら日記を一緒に書こうかということになり、「こうえんにいった。」など簡単な内容をなるべく毎日書くようになりました。
自分が三日坊主になりがちな性格なので、無理に毎日書かせるようなことはしません。
ただ、自分の気持ちを文字で表現できるようになると、将来悩んだり落ち込んだ時に考えを整理するのに役立つと思うので、「書くことって楽しい」という気持ちを持ち続けてもらえるよう、一緒に書くことを楽しむようにしています。
急がば回れ
自転車に限らず、現代社会では生活を便利にする道具がたくさんあります。
我が家ももちろんたくさんお世話になっています。(特に食洗器なしの生活は考えられない…)
ただ何事もメリットやデメリットがあります。
私にとっては子どもと自転車に乗ることのメリットとデメリットを考えた時に、自転車での転倒も怖かったですし、何より幼い今の時期は一緒に手をつないで子どものペースで子どもの目線を共有する時間を大切にしたいな、と思いました。
もちろん文字の読み書きが早くできたから偉い、ということではありません。
長男はたまたま「文字」でしたが、車や電車、草花、散歩する犬や猫など、それぞれの子に好奇心を掻き立てられるものがあるはず。
絵本を読んであげたり、一緒に料理をしたり、たくさん旅行に連れて行ったり、やってあげたいことはたくさんあっても、忙しい毎日で何でもできるわけではありません。
だからこそ「私はこの時間を大切にしよう」と自分で決めることが必要なのだと思います。