中学受験の準備の王道と言われる公文(くもん)式。
特に算数はF教材(小6範囲)までを小3の入塾前に終えるのが目安と言われています。
公文式を使わない学習方法を模索する中で、結果的に公文式を導入することになった我が家ですが、結論からいうと狙い通りの結果から想定外の結果までいろいろあり、しかしどれもポジティブなものばかりです。
いわゆるデメリットは今のところありません。
公文式を始めてみてどんな変化があった?
我が家の長男はまだ未就学児(年長)なので、中学受験の勉強にどう役立つかはまだ確認しようがないのですが、3か月ほど公文式で算数を勉強してみて、私が気づいた変化を紹介したいと思います。
変化1:字がきれいになった
これは予想外の変化。
もちろん綺麗といっても達筆には程遠いのですが、文字の大きさやバランスを整えて書けるようになってきました。
大量の文字(数字)を書きまくってきたので、手先が器用になり文字を書きなれたのでしょう。
「公文でスピード重視の学習を続けると字が汚くなる」と聞いていたので、ちょっと意外でした。
とはいえまだ未就学児。
書き慣れてきたことで、逆にここから字が崩れていく可能性も高いと思うので、注意して見守りたいと思います。
変化2:計算力が上がった
たとえば、買い物に行った際、簡単な数であればお釣りの計算をできるようになってきました。
毎週ピアノの帰りに美味しいパン屋さんで一斤が230円もしくは270円の食パンを買います。(素材の違いで2種類あります)。
1000円札を出したり、500円を出したり、300円を出したりと、その時々で出すお金は変わりますが、徐々にお釣りの計算が速く正確になってきました。
とにかく毎日計算しているのですから、これは当然の結果でしょう。
長男は公文を毎日10枚のペースで解いています。
裏表合わせてだいたい20問。毎日10枚解けば1日200問。1か月解けば6000問。
これだけの量をこなすのが公文式のすごいところ。
もちろん他の教材でもできなくはないのですが、自分で教材を用意するのは想像以上に大変なのです。
変化3:思考が具体的になった≒解像度が上がった
元々「考えること」が好きな長男。
身の回りのものをじっくり観察したり、現象の理由を自分なりに考えてみたり、思考力はそれなりにある方だと思います。
そこに「数の処理能力」が加わったことで、具体的にハッキリとイメージできるようになったと感じます。
たとえば、公文を始める前にはあまり興味を示さなかった「九九のポスター(100均のもの)」を久しぶりにお風呂に貼ってみたのですが、今回は明らかに理解がスムーズ。
最初から丸暗記にならないよう九九の意味を説明すると、すんなりと理解できました。
2×1は2がひとつ、だから答えは2。
2×2は2が二つ、つまり2+2、だから4
2×3は2が三つ、つまり2+2+2、だから6
と私が途中まで説明すると、
「ちょっと待って!」と話を止め、続きの数でも+2を頭の中で行い、本当に2ずつ増えていくことを確認して、自分なりに納得した模様。
3の段や4の段でも同様に確認して納得していました。
まだ簡単な数の計算とはいえ、このように自分頭の中で確かめようとすることは、この先必要となってくる「検算」の習慣に繋がります。
検算は計算力が無いと非常に面倒くさい作業です。(かつての私がそうでした)
逆に基本的な数を反射的に処理できるほど計算力があれば、瞬時に検算できるので、いわゆるケアレスミスを防ぎやすくなります。
こうした自然に頭の中で数を扱えるようになることは、最近流行の言い方でいうと「解像度が上がる」と近いかもしれません。
ぼやーと見えていた長男の世界が、数という比較しやすい言語に置き換えられ、はっきりと知覚されるようになったと、傍から見ていて感じます。
公文式と思考力との関係性は?
よく公文式で学習すると思考力がつかなくなる、という意見を目にします。
私が塾講師として指導していた時も、たしかに思考力が低い子がいましたが、一方で公文経験ありで思考力も高い子も沢山いました。
そこで思考力が伸び悩んでしまう子について考えてみたところ、いくつかの共通点が浮かび上がってきました。
共通点1:習い事が多すぎる
中学受験をするくらいですから教育意識が高いご家庭ばかりでしたが、公文式をさせるご家庭はさらに意識が高かったように思います。
習い事もほぼ毎日入っていて、水泳・ダンス・体操・ピアノ・英語、そこに「公文も」といった感じで毎日とにかく忙しそうでした。
常に「次は○○しなければ」と予定が詰まった状態では、「今」にじっくり集中できないのかもしれません。
共通点2:「忙しいこと」に対して自慢げ
習い事が多いの続きですが、「毎日忙しそうだね」「塾の宿題も大変じゃない?」と子供に尋ねると、妙に自慢げな様子が印象的でした。
塾としては、その子の宿題の質や小テストの結果が悪いので、半分皮肉で言っているようなものなのですが、本人は褒められたと思っているようでした。
結果や質が伴わなくても「とりあえずこなすことが偉い」と思い込んでしまっていたのでしょう。
ちなみに保護者面談で、
「もう少し習い事を整理できませんか?」
と相談しても、
「本人がどれもやりたいと言っているから・・・」
と減らすことに乗り気ではない方が多かったです。
「沢山の習い事を頑張っていること」に価値があると感じてしまい、思い切った取捨選択ができないのかもしれません。
ですが、中学受験はそんな甘い世界ではありません。
多量の習い事が子供の可能性を広げているのか、逆に狭めてはいないか、よくよく考えてみる必要がありそうです。
共通点3:あきらめが早い
忙しい中で何とかこなそうとするせいか、何事も全体を浅くこなすだけになっており、難問には手をつけなかったりすぐに諦めたりしてしまう癖が皆ありました。
本来中学受験の問題は思考力を試す良問が多いので、普段からきちんと取り組むことで思考力が自然と伸びていきます。
しかし長年浅い思考に慣れてきてしまった結果、塾の授業でも深く思考できず理解が浅くなり、さらに宿題でも思考を深めることができず、とりあえず全部目を通すことを優先し、すぐに諦めてしまう。
そしてさらに思考力が伸びなくなる、という悪循環に陥っているように感じました。
結論:「なんで?」の思考の癖をつけて公文式を生かす
公文式で身に付けられる「処理力(計算スピードなど)」は間違いなく、中学受験で大きな武器になります。
しかしそれは直接入試問題で生きるというよりも、入試問題を処理するための土台の力に過ぎないしょう。
スポーツで例えるなら、筋力や足の速さ。
力が強かったり足が速いだけでは一流のアスリートにはなれませんよね。
中学受験もスポーツと同じで、計算力や作業力は実際の問題で思考してこそ生かすことができます。
思考力とは簡単に言えば「なんで?」を突き詰める力。
そして「なんで?」と考えるも、考えないも、毎日の習慣による癖のようなものです。
癖とはなかなか直りにくいもの。
10年の塾講師経験から断言できるのは、
疑問を持たない癖がつくと、修正するのは困難ということです。
そうならないためにも、好奇心旺盛な幼少期の今、子供たちの「なんで?」にはできる限り一緒に付き合い、と同時に処理速度を上げる取り組みを積み上げていきたいと考えています。