元塾講ママのシンプル知育

元中学受験塾講師。5歳と2歳の息子たちの「塾無し中学受験」を目論んでいます。

【大学受験】仮面浪人体験記 「人生観」と「学習観」を確立した経験

新年度が始まるこの時期、自分自身の受験人生について思い返すことがあります。

実は私は大学受験で「仮面浪人」を経験しました。今回は、巷ではあまり見聞きしない仮面浪人の実体験について述べてみたいと思います。

仮面浪人とは

 

 

仮面浪人とは、特定の大学に在籍しながら別の大学の受験を目指す大学生のこと。一見普通の大学生生活を送りながら、受験勉強もしているため、「仮面」浪人と呼ばれます。

 

インフルエンザと対策不足で滑り止め校に入学

現役生の時、大学入試の真っただ中インフルエンザにかかり最悪のコンディションでなんとか本命の大学を受験しましたが、翌日の第二志望校は受験すらできませんでした。

しかし体調不良以前に勉強不足の方が致命的だったと思います。

高校受験はそれなりに頑張りましたが、入学後はあまり真面目に勉強することなく、高3になって受験勉強を始めるも、特に語彙不足が深刻だった英語が足を引っ張って、思うような受験結果を残せませんでした。

こうして残念ながら第一志望校はおろか第三志望にも受からず、辛うじてとある私立大学に入学しました。

 

大学で真剣に学んだ2年間

正直、第一志望校への未練はありましたが、それはいずれ薄れていくものだろうとも思っていました。

また学びたい分野は明確だったので、とにかくまずは大学でしっかり学ぼうと考えました。

授業はもちろん高校時代よりもずっと真剣に受け、図書館にも足繁く通って専門書や教養書を数多く読みました。お陰でその大学での成績はかなり良かったですし、学問を学ぶ面白さを掴むことができました。

 

「今の延長線上に『なりたい自分』はいない」。どうしても否定できない本心

大学で真剣に学べば学ぶほど、自分の中でモヤモヤとした気持ちの悪い感情が膨れ上がっていくのを感じました。

それは

「今の自分が嫌で嫌で仕方がない」

というもの。

これが学歴コンプレックスだと薄々勘づいていました。

「学歴コンプレックなんてみっともない」と理性で否定するも虚しく、私の中のモヤモヤとした感情はますます膨れ上がっていきました。

 

正論はいったん置いておいて

しかし大学2年生の秋のある日、自分の心が限界に達していることを自覚した私は、とにかくこの苦しい思いを整理したいと思い、

「なぜ今の自分が嫌で仕方がないのか?」

と自分に問いかけ、正論を抜きにした正直な思いをノートに書き出しました。

深く深く自分自身の心に問いかけた結果、心の奥底にあったのは

「自分の受験勉強は中途半端だった」という後悔でした。

自分自身の中途半端な努力の結果がこの姿なのに、そこから目を背け

「大学なんてどこを卒業しても変わらない」

と正論を掲げる自己欺瞞こそが、私を苦しめているものの正体でした。

では、

「時間をかければこの苦しみをいつか受け入れられるのか?」

繰り返し自分に問いかけてみました。

結果は、。何度問いかけてみても答えは同じ。

2年近く経っても苦しさは薄れるどころか増すばかり。このままでは一生モヤモヤとした気持ちを抱えて生きていくことになるのは明白でした。

 

再受験を決意。「第一志望校」だけに的を絞る

ならば第一志望校を再受験するしかありません。

それも

「限界まで頑張った」

「これ以上できることは何もない」

と胸を張って言えるほどの努力をした上で。

ここまでのことができれば、仮に不合格となっても未練は残らないはず、という確信がありました。

こうして、私は本命校一本に絞り再受験を決意しました。

 

死に物狂いで取り組んだ仮面浪人生活

時はすでに11月。2月下旬の入試まで3カ月半ほどでした。私は

  • 再受験するのは1大学かつ1学部のみ、と決め、
  • 各受験科目の目標得点を設定し
  • 過去問に沿って自分の足りない部分を具体的に洗い出し

3か月半で目標得点まで到達するスケジュールを立てました。

すでに現役の頃から2年近く受験勉強を離れていたので、だいぶ受験知識は抜けてしまっていました。

しかし、やるべきことが明確で短期決戦であったことから、

雑念なく淡々とノルマをこなす日々は、自分でも驚くほど集中でき、得点力が伸びていくのをはっきりと感じました。

 

2月下旬、いざ本番!入試直後に腱鞘炎でペンが握れなくなった

2月下旬に迎えた入試本番には、まさに

「限界までやりきった。これ以上やることは何もない」

という状態で臨みました。

そしてそれを証明するかのように、私の右手は入試から帰宅すると突然痛み出し、ペンも箸も持てほど酷い腱鞘炎になってしまいました。

 

合格発表

3月上旬。当時からインターネットでの発表もあるものの、電話の自動音声で合否を確認する方法が正式とされていました。

「おめでとうございます。合格です」

合格を知らせる自動音声が流れ、私は

「よし!」と叫びました。

そして両親に急いで電話し報告。私が再受験するとは知らなかった両親は驚きと共に、「再受験とはお前らしいね」と祝福してくれました。

 

「目標から逆算してやりきる」経験が人生観の柱に

こうして合格を手にし、二浪生と同じ年齢での入学となりましたが、

「限界まで努力して目標を達成した」

という経験は、その後の生き方の基準となったように思います。

目標と現状の乖離を分析し、

目標からの逆算して行動に落とし込み、

淡々と実行していく、

すなわち「逆算的思考」が目標達成には何よりも重要ということ。

その後私は長く受験業界に携わることになりますが、受験指導でもこの「逆算的思考」の徹底によって、毎年高い実績を出すことができました。

 

結果を出すのに必要十分な努力量を体得

「ここまでやれば自ずと結果が出る」

という感覚を体で掴むことができたのも大きな収穫でした。

これは自分の勉強だけでなく、中学受験で子どもたちを指導する上でも、

「どこまで頑張らせるべきか」をある程度冷静に見極めることができ、

効率よい学習へと洗練させていくことに繋がりました。

また少々しんどくても「今は踏ん張り時」という判断も冷静にできるため、単なる根性論でないメリハリある指導にも繋がったと思います。

 

リスクも大きい仮面浪人。他者基準ではなく自分のとっての「正解」を

仮面浪人(普通の浪人でも)にはあらゆるリスクが伴います。

学費、年齢、就職活動、周囲の目 それに在学校を留年する危険性…

(ちなみに、大学からの費用は、全て奨学金とアルバイトで賄っていたので全額自己負担)

私はそれらを天秤に掛け、自問自答を繰り返し、それでも

自分のこれからの人生を納得して生きていくためは、どうしても仮面浪人が必要

と結論付けました。

 

まとめ:子どもたちには主体性を大切に後悔の無い人生を送ってほしい

別に仮面浪人などしなくても、新しい環境に納得し充実した生活を送ることができる人が大半だと思います。

だからこの体験は「私にとっての正解」ということに過ぎません。

もちろん現役時代にもっと勉強していれば、と思わないでもありません。

でも「タラレバ」を言っても意味がありません。

それよりも私にとっては、2年間遠回りしても、最後には自分の心に正直に向き合って、あらゆるリスクを引き受けて、「自分の正解」を選択することができた、この経験がとても尊く思えるのです。

そして二人の子どもの親となった今、私が二人に願うのは、

  • 自分でで選択し主体的に生きていくこと
  • 目標を持ったら精いっぱい努力し後悔を残さないこと

の2点だけです。

どの学校に行こうとも、

何かに挑戦するとしても、

それが彼らの主体的な選択と努力の結果なら何も言うことはありません。

知育に取り組むのも「目標のための努力の仕方」を知ってほしいという思いからです。

もしあの時仮面浪人を選択していなかったら、自分のコンプレックスを子どもたちに投影して、おかしな方向に熱くなっていたかもしれません。

自分の人生と子どもの人生は別物

こうして自分自身の経験を文章に残すことで、この先もし大切なことを見失いそうになったら、この記事を読み返して初心に立ち返ろうと思います。