我が子の中学受験を考える親であれば、必読書と言われる、おおたとしまささんの「勇者たちの中学受験」。
ようやく読むことができました。
実はこれを読み終えて真っ先に頭に浮かんだのは、塾講師時代、まだ未熟だった頃に経験したある苦い思い出でした。
勇者たちの中学受験
教育ジャーナリストであるおおたとしまさ氏によって書かれた小説。
実在の家庭への取材を元に書かれた3つの物語が収められています。
塾名や学校名も実在の名称で記されており、親の葛藤、子の苦悩、塾業界の闇など、中学受験のリアルな姿が描き出されています。
この3つの物語の中で、特に私の印象に残ったのは「エピソードⅡ ハヤト」でした。
大人の期待が子どもを潰す
ハヤトは、中学受験における最上位レベルで闘う少年。
筑駒・開成・灘、の中学受験における最難関3校の合格を勝ち取る「三冠」に最も近いと目され、塾にも授業料免除の特待生として通っていました。
しかし、そんな周囲の期待にもかかわらず、結果的に三冠どころか、一冠も取ることが叶わず、神奈川御三家の一角、聖光学院に進学します。
中学受験によってハヤトが失ったもの
ハヤトは幼いころから知的好奇心に満ち溢れ、砂が水を吸うように知識を吸収する、まさに中学受験における神童。
塾に通い始めた時には、新たな学びが楽しくて仕方が無い様子で、塾から帰宅すると両親に嬉々として再現授業をするほどでした。
しかし学年が上がるにしたがって次第に再現授業をすることはなくなり、家族との会話も少なくなっていきます。
それでも常にトップのハヤトを「三冠に最も近い男」と誰もが疑うことはありませんでした。
しかしその陰には、自身の学歴コンプレックスゆえにすぐに頭に血が上り暴言を吐く父親と、一見子どもに寄り添っているように見えるが実は自意識の高さから周囲の目ばかり気にして、子どもの内面の揺れ動きを見落とし続ける母親の存在が。
両親の歪んだ期待は、過剰な学習量をハヤトに課し続ける結果に。
傍から見ると最難関レベルの受験生としてなんら問題が無いように見えるハヤトですが、その内側では、かつて泉のようにこんこんと湧き出ていた「学ぶ喜び」が、いつしか枯れ果てていたのでした。
三冠を逃し進学先でも深海魚
灘中以降、次々と突き付けられる「不合格」の結果に、母親の不安はどんどん膨れ上がっていきます。そして父親は不合格への怒りや失望を隠そうともせず、およそ子どもの気持ちを考えているとは思えない自分勝手で残酷な言動を繰り返します。
本来であれば、家族が総力を挙げて子どもを応援しなくてはいけない大切な時期に、ハヤトの家族はグチャグチャの状態だったのです。
結局三冠を逃したハヤト。誰もが想像しない結果でした。
進学先の聖光学院では、まったく勉強をしなくなり最下位レベルのいわゆる「深海魚」になり果ててしまいます。
子どもへの期待はしばしば大人のエゴを暴走させる 私の苦い思い出
勉強、スポーツ、音楽、あらゆる場面で、他とは一線を画す素晴らしい才能を示す子どもがいます。
私もかつて明らかに他の子とは段違いに吸収力の優れた子どもたちを何人も見てきました。
そういった子は、新しい学習内容をすぐに身につけ、どんなに応用的な質問をしても完璧に打ち返してきます。
そしてそんな生徒に出会うと教師はしばしば
「この子の能力はどこが限界なのだろう」と好奇心を掻き立てられてしまうものです。
かつての私はまさにそうでした。しかし、その限界とは決して大人が無暗に暴こうとしてはいけないものなのです。
中学受験では思うような結果を残せなかったSさん
学力のピークが中学受験時(つまり小学生)という子もいる一方で、受験後に大きく伸びる子もいます。
Sさんは中学受験でこそ思うような結果を残せませんでしたが、中学進学後は特待生を維持するほど優秀な成績を取り続けていました。
進学先の中高一貫校は毎年東大に何名も受かる進学校。特待生のSさんは十分東大を狙える位置にいました。そしてSさん自身も本気で東大を見据えていました。
私はSさんからの希望で、中学進学後の英語を個別指導で担当していました。
(他にも数学を受講していました)
実は中学入試の結果が出揃った時、Sさんは泣きながら私に「先生の期待に応えられなくてごめんなさい」と謝ってきたのです。
私はSさんがクラスの誰よりも努力をしていたことを知っていたから、「こちらこそ第一志望校に受からせてあげられなくてごめんなさい」という気持ちが涙と共に溢れてたまりませんでした。
大学受験ではこんな悔しい思いをさせたくない、その一心でSさんへの中学進学後の個別指導は熱の入ったものになっていきました。
先生の期待に応えるのが辛い
大学受験に向けて、Sさんにはどんどん先取りで英語を教えていました。
英検も次々に合格。中2の頃には高校の単元に入りました。
Sさんはいつも完璧に内容を理解し、宿題もパーフェクト。学校の勉強も常にトップでずっと特待生を維持。
定期試験や模試で素晴らしい成績を取ってきても、私は「Sさんなんだからトップで当たり前でしょう」と返していたように思います。
期待の大きさゆえに、「もっと上を目指してほしい」という思いからの言葉でした。
しかしいつしかSさんは大人からのそうした期待が大きなプレッシャーとなり、負担に感じるようになってしまったようでした。
もうすぐ中3という時に、
「先生たちが期待してくれているのは理解しているけれど、どうしても辛く感じるようになってしまった。塾を辞めて自分のペースで勉強を頑張りたい」
と申し出てきました。
自分が生徒を潰しかけていたことを自覚
この時はじめて、私は自分の期待がSさんを潰しかけてしまったことに気づきました。
Sさんは「このままでは潰れてしまう」と追い詰められ、ようやく私たちに退塾という形でもう限界であることを伝えてくれたのです。
もっと早くに「辛い」と言ってくれていれば、という思いも正直浮かびましたが、しかし「中学受験のときのような辛い経験をさせたくない」という私たちの思いを分かっていたからこそ、Sさんはその期待を無下にはできなかったのでしょう。
頑張り屋の彼女は限界まで頑張り続け、そして疲れ果ててしまったのです。
もはや私にできるのは、これまでの過剰な期待を謝り、Sさんの決断を尊重して温かく送り出すことだけでした。
才能とは神聖で不可侵な領域
この経験から学んだことは、私にとってその後の受験指導、そして子育てにおいても絶対に忘れてはならないこととして心に刻まれています。それは
子どもの才能は大人の興味本位で限界まで試してよいものではない
ということです。
限界まで自分を追い込んでいいのは、自分自身だけです。
他者からの期待やプレッシャーで限界まで頑張らせてしまうのは、ただ子どもを疲弊させるだけ。その先に学ぶ喜びはありません。
子どもの限りない才能を目にしたとき、「もっともっと」と次々に課題を与えてしまうのが親や教師の性(さが)です。
しかしそれによって子ども自身が「純粋に楽しむ心」を失ってしまったとしたら、それは取り返しのつかない事態。
再び「純粋に楽しむ心」を取り戻すのは並大抵のことではできません。
実はSさん、大学受験が終わった後、色々連絡先を辿って私に進路報告をしてくれました。
無事に希望通りの進路が決まったとのことで、清々しい声が印象的でした。
大学で学びたいことも明確に決まり次の目標を見据えるSさんの明るい声に、かつての自分の過ちを恥じる気持ちを癒してもらったように感じました。
子どもへの期待は、時として大人のエゴに変貌します。
そのことを忘れず、我が子も一人の人間として、才能も含めた人格を尊重することを忘れずにいたいと思います。