「地頭は良い」「やればできるはず」
よく言われる表現ですが、おそらくこう言われるタイプの子たちは幼少期から物事の飲み込みが早かったのだろうと思われますが、
いつの間にか
「地頭は良い(けれどテストの成績はいまいち)」
「やればできるはず(けれどやらない)」
という、いわゆる器用貧乏なだけになってしまうパターンが多いのではないでしょうか。
そこで今回は、「地頭は良いのに」で終わってしまう器用貧乏な子と、本当に学力が高い子は何が違うのか、中学受験受講師の経験から考えてみたいと思います。
中学受験生に一番多いのは器用貧乏タイプ
私が見てきた中学受験生で一番多かったのは実は「器用貧乏」なタイプの子。
おそらく低学年くらいの時期に、
「うちの子は割と勉強が得意そうだから中学受験させてみよう」
と、中学受験に足を踏み入れるご家庭が多いためだと思うのですが、
こうした地頭が良い子には、いわゆる「器用貧乏」止まりなタイプも少なくありません。
それは、ある程度物事をすんなりと理解でき、基本的な内容(=小学校の授業レベル)であれば苦労せずこなせるため、それまでしっかりとした学習習慣の必要性を感じてこなかったからだと考えられます。
小学校のテストでは器用貧乏タイプと優等生タイプを区別できない
ところが厄介なことに、「器用貧乏で面倒くさがり」という欠点は意外と過小評価されがちです。
その理由は、中学受験塾で偏差値60以上の子でも偏差値40台の子でも、学校のテストレベルであればどちらも9割以上取れてしまう場合が多いから。
(私の感覚ですと、偏差値40未満になると学校の勉強にも躓く子が出てきます)
つまり学校のテストでは、両者の学力の差が正確には測れないので、
親としては実は器用貧乏な我が子と本当に学力の高い子との本質的な違いに気づきにくいのです。
器用貧乏であることの恐ろしさ
器用貧乏な子というのは、
学習習慣が「あまり身についていない」もしくは「学習習慣が低い精度」でしか身についていません。
つまり理解のレベルが浅い、と言えます。
たとえば国語の場合、器用貧乏な子が中学受験対策の勉強を始めてみると、扱う語彙のレベル、読解問題の文章長さが小学校とは比較にならないほどハイレベルなことにまず衝撃を受けます。
文章を読んでいて
「言っていることはなんとなく分かる。でも問題は正解できない」
という状態です。
最初は文章の中に知らない言葉がいくつかあっても、持ち前の器用さで何となく文章全体の意味は分かる(気がする)。
しかしその都度意味を調べ納得し、知識として定着させることを疎かにするので、問題のレベルが上がるにつれてどんどんついていけなくなる。
するといつしか
学校では成績が良いのに、中学受験の塾では成績下位層常連
という状態に陥ってしまうのです。
器用貧乏にならないために大切なこと
一方で本当に学力が高い子たちは、例外なく
「分からないことをそのままにしておくのは気持ち悪い」
と言っていました。
とにかく納得するまで調べるのです。
つまり器用貧乏な子と本当に優秀な子の違いは、
「とことん調べる習慣」
正直なところ、子どもによって地頭の良しあしはあります。
でもそれはあくまで「個性」。
才能というほどの決定的な違いではありません。
それ以上に学力を左右するのはあくまで「習慣」であり、「とことん調べる習慣」が身につけば、間違いなく地頭も良くなっていきます。
※まさにこちら↓↓のぎん太くんはその典型ではないでしょうか
まとめ:子どもが疑問に思ったことは大人が「一緒に」調べてみる
以上の事から、子どもが器用貧乏に陥らないためには
「とことん調べる習慣」が必要であると考えます。
そしてその前提には
「調べて分かるとスッキリ気持ちいい!」
という感覚が不可欠。
そしてさらにその基礎に欠かせないのが、
「子どもの疑問に大人が一緒に楽しく付き合うこと」
「一緒に」が大事です。
まちがっても習慣化する前に「自分で調べなさい」と突き放すのはNG。
こう言われたところで自分で調べるようにはなりませんし、間違いなく
「自分で調べるのは面倒くさい。それなら分からなくてもいいか」
となってしまいます。
(経験上、経済的に余裕があっても「物や環境を与えるだけのご家庭」は器用貧乏止まりの子が多い印象です)
本当に学力が高い子たちの親御さんは、例外なく子どもの疑問や好奇心を大切にされており、子どもの興味に楽しく寄り添うエピソードが山のように出てきました。
※全国の城巡りをしまくって成績に大幅アップ、超難関校に合格したT君 ↓↓
こうした大人と「一緒に楽しむ経験と記憶」の積み重ねこそが、
「分かるって気持ちいい!」という感覚になり、ひいては
「勉強は楽しい!」という価値観を作り上げるのだと思います。
色々と考察を巡らせてきましたが、最近子どもたちからの怒涛の質問攻めに、つい内心で
「面倒くさい」と感じてしまいそうになる自分への戒めとして、
こちらの記事として残しておきたいと思います。